ブログ移転しました!!

エピソードひとつ書き上がりました。あーんど、新人だった頃の話。

takasuga_chara_picture

ゲーム制作サークル「LR」代表、タカスガタイキです。



シナリオ微増用のエピソードがひとつ書き上がりました。

まだ推敲が充分にできていませんが。
どの道、推敲はスクリプティング作業の中で並行して実施するので、表面上、タスクには現れません。
なので、ここまでは想定通りです。

今のところ、なんとか再設定したスケジュールに沿って作業を進められていますが、まだ油断はできないと思っています。
こまめに線引きを見直していきたいです。



僕がシナリオのライティングにいそしむ一方で、作業が手空きにならないように人員には様々なタスクを振っています。
以前、ショーテンさんがうちの作業単位としてクラフトを御紹介したことをおぼえてらっしゃるでしょうか。
このクラフトは、約3.5日分の作業量を言います。
各タスクをクラフト単位に仕分けして、メンバーに適宜振るのは、僕の仕事です。

前回の記事では、当初の予定よりカットイラストを増やした旨お知らせしましたね。
それだけでなく、パッチリリース後に本格的始動を予定していた制作支援関連の素材などにも先行着手してもらっています。
これは既にいくつかモノをあげてもらっている(!)ので、僕に余裕ができ次第、サイトの制作支援ページに反映させる予定です。
あと、僕が持っている事務作業も、徐々に人員に振っていこうと思います。
再三言っていますが、僕の分業をいかに減らすかということは、次回のプロジェクトの大きな課題なのです。













※ここから以下は、サークルとは関係ない話

少々自分語りをば。
読み飛ばしてもらっても、問題ないよ。
そもそもこのパッチのリリース時期が伸びたのは、おもとして僕の本業が忙しくなってしまったためです。
今回は、そんな僕の仕事内容についてちらっと触れてみたいと思います。

というのは、ちょうど今日、知り合いのゲーム制作者さんのブログ記事で「新人派遣社員が見たIT業界」というのを見つけたもんで。
読んでいたら、なんだか自分の新人時代が懐かしくなってきちゃったんですね。
読破する頃には、任侠映画を見た後に風切って歩く若者よろしく、僕はすっかりその気になっていました。
つまり、「よし、ひとつオラも書いてみんべ」と。

とはいえ、僕のそれは、リンク先の記事に比べれば、だいぶのほほんとしているとは思います。
まあ、そこはそれ、個人の主観ということで。
差っ引いて読んでいただけると、ありがたいです。

ではでは、始めますよ。




■IT屋さん

まずは、あらためまして職業から。

僕の会社は、金融管理などのシステム系案件を中心に扱うIT屋さんです。
自社開発や一括請負もたまにやりますが、大体はどこかの会社のプロジェクトに参画させてもらいます。
細かく分ければ違いはあるんですが、まあ、派遣みたいなものです。
自社に戻れば正社員ですから、ホンマの派遣と比べると、保障、基本給、残業手当などの点ではだいぶ厚遇されてはいると思いますけど。


■はじめてのおつかい

さて新人時代の話です。

今でこそツラの皮の厚さはマリアナ海峡に匹敵する僕ですけれど。
それでも、別に木の股からネクタイしめて生まれてきたってわけじゃありません。

振りかえると、最初の一年は辛かったなあという記憶があります。
経験もないし、技術もないし、何より自信がなかった。


ちょうど不況の年で、まだ新入社員だった僕はなかなか現場が決まらず、長い研修期間を送っていました。
で、やっと決まった先が、いきなり何年かに一度の超燃えている現場。
土台、大学生を促成栽培させてスーツ着せただけの新人ですから、役に立つはずもありません。
皆が残業している手前、さっと帰ることもできず、ひたすらモニターの前で暗愚を演じる日々でした。

先輩らの足手まといになるのが情けなくて。
こんなんで給料もらってしまうのが本当に申し訳なくて。
悔しかったですねー、あの時は。



■苦い経験

結局、そのプロジェクトの火勢はとどまることを知らず、火の手は拡大する一方でした。
精鋭陣が火消し役として参戦するのと入れ替わりに、僕は退室することになりました。

悔しくはありましたが、同時にほっとしていたようにも思います。
正直「頼む、死なせてくれ」みたいな心象だったので、やっと介錯してもらったという気持ちも強かったのです。

ただ、このはじめての現場以来、僕はすっかり臆病になってしまったのですね。
次の現場でも消極的な振る舞いに終始してしまった僕は、相変わらず役立たずでした。
地方出ゆえにホームシックにもかかっていました。
今思い返しても散々でしたね。

僕の低迷期は、この後もしばらく続くことになります。



■追い風は自分で負う

転機が訪れたのは、はていつ頃だったか。
この現場の後くらいからだったかなー。

キッカケは、僕の嫌いな上司からのカチンとくるアドバイスでした。
はっきり覚えてはいませんが、「もっと積極的に」とかそんな当たり障りのない言葉だったように思います。
口にこそ出していませんでしたが、括弧書きで(まあ、君には出来ないだろうけど)というような言葉が続きそうなニュアンスでした。
僕は本当にこの人のことが嫌いで、今でも出来ることなら僕の見えないところで幸せになってほしいと願ってやみません。
しかし、本当に嫌いだからこそ、僕はそのアドバイスをむげにするわけにはいきませんでした。
好き嫌いで人の意見を判断するなんてのは、道理に反しています。
タカさん、妙なところでいさぎよい。

「積極的といったな。だったら、やってやろうじゃないか。見てろ」

と僕は、無駄に反骨精神を発揮したのです。



■チェス盤をひっ(ry

まず僕は分析しました。
負の連鎖には何らかの原因があるはずです。
何故僕は仕事に消極的なのか。

言うまでもなく、理由は「自信のなさ」でした。
そいつが僕の歯車に挟まってブイブイ言わせてる生意気な小石の正体でした。
では、それを改善するにはどうすればいいのか?

考えに考えた末、僕はこの問題に対して「技術力を身につける」という解を見出だしました。
もともと、最初からして「役立たず」ゆえの失敗です。
そんな自分に自信が持てようはずもなく、この点が解決できなければ、積極性など望むべくもありませんでした。



■いざ鎌倉

方針が決まれば、実践するだけです。

ちょうど自社開発の案件が持ちあがっていた時期のこと。
僕は、思いつく限りの挑戦で、そのプロジェクトに臨みました。
仕様書を誰よりも正確に把握することに努め、先輩達の技を盗み、よく質問し、同期と議論を交わします。
遮二無二やっている内に、少しずつ歯車がかみ合っていくのを感じます。

そうして、気付いた頃には、僕は、そのプロジェクトのエースになっていたのです。



■来た、見た、やった

期間としては大変短いプロジェクトでしたが、それが僕の中でリズムを作ったのですね。
そこからは、トントン拍子でした。

まず仕事の中で技術を学ぶということを覚えました。
プログラムが「好き」だということが、どんなに業務の上で有利かも知りました。
好きだという弾みがつけば、知らない人と話しやすくなるかも。
良好な人間関係が、仕事をどれだけ楽しく、息のしやすいものにするかということも。
楽しみながらやるのなら、割とハードワークも苦ではないということも。
そして、それに不随して増える給料もw
これがサビ残だったら、僕はとっくに会社からドロンしていたと思うですw

で、徐々にツラの皮を厚くしていった結果として、今の僕があるわけです。
新人の頃のようなおたつきはもうないですし、サマになる立ち振舞いもちょっとはできるようになってきたんじゃないかなと思います。



■この仕事のいいところ

そろそろ、まとめに入ります。
最後に、これから僕と似たような仕事に就くことになる人に向けて、先輩ぶった小憎らしいメッセージをば。

個人的には、次々にプロジェクトを転々とする醍醐味は、なんといってもその気楽さにあると思います。
違う会社なので、現場の上司はこちらに対して直截に権力を行使できません。
こちらもその気になれば、営業を巻き込んで戦うことができます。

また、様々な人間がいる中に飛びこむので、年次によらない対等な関係が築けるというメリットがあります。
40代だろうが、50代だろうが、同じ現場で働くのなら等しく仲間です。
いつかは現場を離れる日も来るかもしれず、仲がよければよいほど別れは辛いですけどね。
でも、次の現場でも仲間はできます。
そうやって関係はどんどん増えていくんです。

今度、一年ほど前に一緒に仕事をしていた仲間との久しぶりの飲みがあります。
こういう席でのビールはまた格別です。
お気楽な僕が、お気楽であり続けられる所以ですね。



■おしまい

こういう回顧録的なものは書くのがなかなか大変ですね。
おつきあいありがとうございました。



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